マークース・ズーサック「本泥棒」

Markus Zusak (2005) "The Book Thief"

ナチス政権下の抑圧された時代。ドイツの田舎町、モルキングのヒンメル通り33番地に、里子に出された9歳の少女リーゼルがいた。義理の親となるフーバーマン夫妻のもとで、リーゼルは毎日を過ごす。レモン色の髪の少年、凍える本の部屋、そして、盗み。しかし、父親のハンスには秘密の生活があった。アコーディオンが取り持つ縁でユダヤ人ボクサーが現れてから、予想不可能のゲームがはじまった。


本泥棒

本泥棒


言葉で人心を掌握したヒトラー政権下のナチス・ドイツに登場した、本泥棒の少女リーゼル。感受性豊かなイメージが重ねられ(まるで様々な色のペンキを塗り重ねるように)、リーゼルの数奇な運命が紡がれる。
ちょっとませた子供たちの喜びの日々と、胸いっぱいの切なさ。このクロスオーバーが豊かで味わい深い余韻を残す、激動の人間賛歌。


今年読んだ本の中で一番良かった。もしあなたが本好きで、言葉への高い感受性を持つならば、この本のページを繰ってみることをオススメします。


本著のストーリーテラーは「死神」である。戦争の時代に世界各地で活躍した彼が、たまたま目にとめたのがリーゼルだった、という構成。
全体を見据えた死神の視点は、彼女の日常生活を繊細に魅力的に描写しながら、大胆にも数年後のドラマや結末部分を突然挿入したりして、現実から目をそらすことを許さない。行き着く先の悲惨さを決して忘れさせない。


そして、町の空を覆っているナチス・ドイツの色・・・。戦争加害者側に立つドイツ人だが、全ての人が残虐であったはずもなく、全ての人がヒトラーを賞賛していたはずもなく(表立ってはしていたにせよ)、田舎町のここで彼らは無力な普通の人間として描かれる。(「彼らはみんな死んで当然だというのだろうか?子どもたちは?」>本文より)
それまでモルキングの町において、ナチスの厳格さはしみ渡っていたが、血を見る悲惨さは感じにくいものだった。しかし、あるボクサーの登場が、この町も戦時下であることを否応なしに認めさせる。


主人公リーゼルは、貧しいながらも、毎日を生きる。彼女ははじめ、文字を読むことが出来なかった。しかし、「盗み」とともに文字と言葉の魅力に取りつかれ、書物とともに成長する。周囲の人々との交流と心温まるエピソードの数々が、リーゼル(と読者)の内面を豊かにする。物語前半のほとんどは、前向きな生の輝きに溢れている。

しかし、それがいつかは死神と交差してしまうことを、読者は早々に宣告されている。時がたつごとに町にも暴力がありふれてきて、はじめはイジメとして、そして目に見える死の形として。


それにしても、この野心的な構成と文体で全体を統一させた、作者の忍耐強さに驚き、感心した。
大胆なジャンプを繰り返すので、はじめは危なっかしく思えたが、リーゼルや周りの人々への感情移入の度合いとともに、まとまりを感じるようになる。それはモルキングの町、ヒンメル通りの全てのものに対する親しみとなる。生きているうちに思い出を形に残すことの大切さを感じ、さらに死神の人間味(!)を受けて彼の仕事に同情したり・・・。

リーゼルは言葉が持つ力、可能性を信じていて、その願い、思いが、至るところに詰まっている。ヒトラーより断然優れた能力を持つ“ワードシェイカー”として、リーゼルは言葉の力を解き放つ。彼女が言葉を繰り出すことで、人々の心は暖まり、新たな交流が育まれる。近しい人を亡くした人も、リーゼルと接することで笑顔を思い出す。空を見ることが出来ない人も、彼女の「今日の天気」に好奇心を抱く。地下室で爆弾におびえる人々も、彼女の凛とした言葉の下に集い、救われる。

主人公はリーゼルだが、もう一つの主人公は「言葉」自体である。作者はなんと「言葉」を擬人化した。本書で言葉は発せられた瞬間から動き出し、発した人間の気持ちを体いっぱいに表現する。
しみのような形になって天井にはりついたり、ベッドのそばにひざまずいたり、テーブルに着地して、みんなでその言葉を見たり・・・これほど言葉を動かした小説には、なかなかお目にかかれない*1。これが本書の最もユニークな点であり、その発想の意外性にしばしば驚嘆し、揺さぶられた。


言葉には命がある。言葉は生きている。言葉は使い方次第で人を傷つけることも出来るし、託した願い次第で人の魂を救うことも出来る。

本書を読んだ後は、誰もが言葉を大切に使いたいと思うようになるだろう。


作者は色についてもこだわりを見せているが、私はあまり採り入れることが出来なかった。欲張り過ぎに感じたのだが、これは映像化を見越してのものだったのかもしれない。あとがきによれば、既に20世紀フォックスが映画化権を獲得しているという。ティム・バートンが監督だといいな。




ズ―サックはナチス政権下に生きてはいなかったが、『本泥棒』は『アンネの日記』と同じ棚に並ぶに値する。(USA TODAY)


本書は本が宝物になるという内容と、詩情豊かな語り口で、広く読まれ賞賛されるだろう。(NEW YORK TIMES

「このくそばか野郎。くそばか野郎って、どうつづるのか教えてくれる?」

これもまた人間というものが矛盾だらけの生き物だという証明だ。いいこともいっぱいすれば、悪いこともいっぱいする。

どうして空が赤いの?どうしていまごろ雪が降ってるの?どうしてこの雪は腕を火傷させるの?

わたしは言葉を憎み、言葉を愛してきた。その言葉を正しく使えていればいいのだけれど。

*1:なかなかお目にかかれないのだが、古典落語「寝床」の中に言葉を動かす表現があった。義太夫について。「・・・『うん』の字を張扇の先へぶら下げて、見台の四隅を引きずって、あとでこれを手のひらに乗っけて天井へ放り上げ、『うん』の行き方を首をふりながら、こう、恨めしそうに睨むという」(六代目三遊亭園生)