読めない

「ペンギンの憂鬱」を読んだあとにアントニオ・タブッキの短編集「逆さまゲーム」を読もうとしたが、ひとつの話を読むのがやっとで、2つ目に取りかかることが出来ないで何度も本を閉じてしまった。
短文が続く本を読んだ直後に、会話文も改行も少なく内向的な文体を読むのは難しい。特にこれは、じっくり腰を据えて読まなければ頭に入ってこないし、そうでなければ面白みが伝わらない作品であるようだ。その高さに自分を調節出来ておらず、クールダウンが足りていないらしい。
別の本を読むことにしよう。さっそくAmazon(古本)から購入した本の舞台は、ペルー、イラク、タイ・・・。だが、いったい何をクールダウンしようというのだ。頭か、目か。それとも実は、この本が自分に合わないという可能性もある。


迷うのは、どうも合わない気がするけれど、無理にでも読み進めた方がいいのかどうか・・・この作家の本ならば面白いはずだとの期待や周囲の「読み終えたときの余韻が素晴らしい」なんて感想が、その決断をどうしようもないほど鈍らせる。ここを乗り越えれば大きな達成感が待っているという読書は既に苦行だが、本は非情である。勝手に上げられたハードルなどものともせず、こちらの迷いなどお構いなく、そのままの形で押し寄せてくる。

読者と本との高さが合っていなければコンビネーションは成立しない。「合う本」というのは、読書時間を短く感じ、閉じるのを惜しく感じることだが、それは感覚的であり、アンテナの磨き具合で変わるのだろう。良い小説とは、読者が作るものである。それだけに自分に合う本と出会うことは難しく、その発見・探索自体が読書の面白さでもあるのだが、それは読書離れの遠因でもある・・・。


ちなみにハリウッド映画には有名なストーリー構成がある。15分、30分おきに出来事を起こして、人を引きつけて飽きさせないものだ。ターゲットがよりニッチな小説に完全に当てはまるとは思っていないが、世界中の人間の変わらぬ心理に基づいた見事なものだ。最初に気づいて体系化した人は凄いと思うし、プレゼンテーションやら何やらのヒントにもなる。