ブッツァーティ「神を見た犬」

Dino Buzzati

「イタリアのカフカ」と呼ばれた作者ディーノ・ブッツァーティ(1906-1972)の代表短編集(22作品入り)。いずれも主題を語るためにストーリーが用意してあるという形の、計算され尽くした作品群です。


神を見た犬 (光文社古典新訳文庫)

神を見た犬 (光文社古典新訳文庫)


「胸を打つ幻想。美しい恐怖」というのが帯に書かれた言葉であり、カフカあるいは安部公房ばりに、どこかから空想世界・不条理世界が広がっていく特徴があります。それは設定自体であったり、最後の数行であったりして、多種多様。効果としてもカオスを引き起こしたり、静謐へと向かったりと、とにかくバラエティに富んでいます。


ブッツァーティの初めての1冊としては最適でしょう(私もそう)。エスプリの効いた短編と、渋さが光る中編が並んでいます。ただ、作品数の多さと引き換えに、個々の作品の重みは失われてしまったように思います。いくつかの話については、たったワントリックで終わったように感じてしまいました。もうちょっと長さの揃った作品をならべて、トータル10作品程度にしても良かったんじゃないかなーと思いました。
なお、バックグラウンドにキリスト教の宗教観がある話(「聖人」「奇跡」が登場する直接的なものも多数)と、作者が生きた時代ゆえに戦争に関する作品が多くなっています。また、カテゴリーには「ITALY」とつけていますが、イタリアの特定の街を舞台とした話ではありませんでした。


以下、面白かった話をいくつか。


七階
ジュゼッペ・コルテは軽い診察のために訪れた病院で、念のために七階に入院することになった。ここの患者たちは病気の程度によって、各階へふりわけられている。七階、つまり最上階はごく軽い症状で、一階下がるごとに重くなってゆく。一階ともなると、一縷の望みもない。ジュゼッペ・コルテはもう熱が下がったように感じていたが、ちょっとした手違いから六階へと引っ越しをすることになった。


入院した男を襲う悲劇。病院内を舞台にした密室劇で、シンプルな面白さという点は本書内随一です。先の展開が読みやすいのが難点ですが、むろん作者もそれを見越しており、主人公の心理状態が読みどころになります。
病院で症状の重い患者の隣に座っただけで、なんとなく自分も調子が悪くなったような気がする・・・ということは、あると思います。患者と接することで反対に自分の健康さを意識し、それが優越的な意識へ変わるためなのでしょう。少なくとも主人公にはそうした意識があり、それが後半の展開に作用します。
ところで、7F→1Fではなく、1F→7Fもアリだと思いました。外の世界と繋がっているという意味での1Fと、徐々に天国へ近づいていくという意味での7F。1Fを最終地点としたこの作品において、「死」とは地の底に落ちゆくもののよう。とても悲惨で陰鬱なものに思え、作者の死生観が垣間見えます(この作品だけ?)。


グランドホテルの廊下
部屋から出てトイレに行く途中、廊下でガウン姿の男と鉢合わせになった。あやうくぶつかりそうになり、私は彼が見ている前でトイレへ入ることに気おくれを感じた。ほかの場所に行くふりをして、そのまま通りすぎてしまった。しばらく影に隠れていて、誰もいなくなった頃に戻ってトイレに行こう。しかし、ガウン姿の男も、また・・・。


ホテルの廊下を舞台にした、不条理な作品。そんなに恥ずかしがることないでしょうけど(笑)。軽い話だと思っていたのですが、油断しました。まとめ方がとても印象的で、素晴らしかったです。ぜひ最後までどうぞ(そうそう、本書内の多くの作品に言えることだけど、油断してると怪我するよ)。


神を見た犬
デフェンデンテ・サポーリは悪態をつき激怒しながら、毎朝貧しい人びとにパンを配っていた。叔父の遺産を相続するための執行条件として書かれていたためである。ある日、一匹の野良犬が入ってきて、パンをひとつくわえた。「しょうもない犬め!」石を投げたものの一個も当たらず、悠々と去っていく。すると犬はそれから毎朝欠かさず、パンを失敬しにくるようになった。


この作品集にいくつか含まれている、「神を信じない者」を「愚かな者」として描いた作品のひとつです。日本人には読みにくいものですが、この作品は別格の味。
「神を見た犬」の存在感が圧倒的でした。そして、心をオープンに出来ないがための怯え、他者との卑屈な競争心などなど、人間の狭い心がどんどん露出します。教訓的ですが、アイロニー、ユーモアもあって、オススメです。
人に見られているということが、どれだけ言動を変えてしまうものか・・・。誰からも見られていない時にこそ、自分に厳しくしたいものです。真のプロって、そういうものでしょうから。


マジシャン
「芸術なんてもんは、消費されるものさ。世間の人びとがどんな芸術に興味を持ってる?流行の音楽に流行の小説。たしかにきみの書くものはすばらしい。それでも、歌の下手なアイドル歌手にだってかないやしないんだ。人びとは手軽でわかりやすく、即効的な快楽を求めてる。苦労したり、頭を使ったりする必要のないものをだ。君たち芸術家は大衆からはどんどん離れるいっぽうさ。いつの日かきみたちが声高に叫ぼうと、犬一匹だって耳を貸さなくなるだろうよ!」


・・・で、これに対するアナタの答えは何ですか?、と。
読者に向けての作品というより、自分(あるいは同業者)に向けて喝を入れるための作品のように思えます。


戦艦《死》
先の大戦でのドイツ海軍少佐が、来月『戦艦《フリードリヒ二世号》の最後』という本を刊行するらしい。書かれている出来事すべてがにわかに信じがたく、驚異的であり、これが事実であるならば第二次世界大戦にまつわるもっとも深い謎に包まれた機密の暴露だと言えよう。戦艦の写真がそれを表していた。妄想の所産としか思えぬ、怪物の姿。戦わずして幽閉される運命でありながら、最後の最後にもたらされた、壮麗な悲劇。


ロマンチシズムを感じる、とても渋い作品です。わずかばかりの証拠を頼りに真実を追って迫る姿は、まるで松本清張作品(「或る「小倉日記」伝」)のよう。そして後半では、死を目標とするシンボリックな艦と運命をともにした船員たちの姿が、重厚に描かれます。

ただ、ほぼ全作品に共通していますが、島尾敏雄作品のように内面までメスを入れることはせず、基本的に読者に登場人物の心理をゆだねています。そのため上手く伝わるかどうかは、読者のレベル(眠気とか「ながら読み」かとか、そういうこと)によって変わってしまいそうです。



そのほか、元ボスによるプライドを賭けた最後の大仕事・「護送大隊襲撃」(「戦艦《死》」と似ている)、次から次へお金が出てくる背広を得た男を描く「呪われた背広」、2週間おきに世界的に影響力のある人物が死んでいくというファルス・「一九八〇年の教訓」(「グランドホテルの廊下」と似ている)などなど・・・が収録されています。




ブッツァーティは、われわれが無意識のうちに心の奥底に抱えている心象風景を、類いまれな感性でえぐりだし、容赦なく突きつける。読者は既視感を味わい、ぞくりと身を震わせる。(関口英子、「解説」)